帯状疱疹でひどい目にあってる。
これまでの疲れとストレスが原因なんだろうけど、何もこの時期にかからなくたっていいのに。
2012年12月24日月曜日
2012年11月13日火曜日
そろそろ鍋が恋しくなってきた
東京も大分涼しくなってきた。
寒波が到来するらしく、明日は雪になる地方もあるとか。
だんだん鍋の季節になってきたぞ、ということで、先週末は煎餅汁にしてみた。
もちろん、メインの素材となる煎餅は、先日実家に帰った時に仕入れてきた。
ダシはもちろん比内鶏のスープで。
残念なことに、近所のスーパーではセリが売ってない。
でも、久々に食べる煎餅汁は最高にうまかった。
寒波が到来するらしく、明日は雪になる地方もあるとか。
だんだん鍋の季節になってきたぞ、ということで、先週末は煎餅汁にしてみた。
もちろん、メインの素材となる煎餅は、先日実家に帰った時に仕入れてきた。
ダシはもちろん比内鶏のスープで。
残念なことに、近所のスーパーではセリが売ってない。
でも、久々に食べる煎餅汁は最高にうまかった。
2012年11月4日日曜日
2012年10月31日水曜日
2012年10月23日火曜日
川徳@盛岡
※写真は別人。
親父はサラリーマン、お袋は自営業だったので、小さい頃は休日に家族そろって旅行に行くことは本当にまれだった。たまに土日にお袋が休みをもらった時には、盛岡まで日帰りの家族旅行に出かけた。特に、観光施設を巡るわけではなく、盛岡にあった百貨店「川徳」に出かけ、お袋と親父は買い物、俺と姉はデパートにあるファミリーレストランで食事をするのと、屋上にある簡易遊園地で遊ぶことを楽しみにしていた。
屋上には、小さな観覧車とスピードの出ないコースター、ゴーカートなどの乗り物がところ狭く設置されていて、いつも家族ずれで賑わっていた。
目的は観覧車。今みたいに建築・構造物の技術が発達していたわけではないので、屋上に設置された観覧車は高さ10m程度、籠も数個ついているだけだったと記憶している。でも、そんな観覧車から見える盛岡の町並みと遠くにそびえる岩手山を観ているだけで、贅沢な気分になったものだ。
観覧車から見える景色は、ほんとにすばらしかった。今みたいにデジカメなんてものは存在しない。
景色は拡大して大きく見える必要はない。小さく見えることが重要だった。
2012年10月21日日曜日
Nobless oblige
時代はバブルに向かって昇り調子の頃。わが町にもジャスコが出店し、駅前通りはいつも賑わっていた。開店日には、登校時間が冬時間だったこともあり、登校前に友人と並んで地元紙のインタビューを受けたこともあった。
バブルが崩壊してからは、大型店舗は郊外に移転し始めたこともあり、駅前は閑散。
今は、行政を含めて商業施設の誘致を進め、地元で一番大きなスーパーが出店し、駅前に住むお年寄りの唯一の台所となってる。
まぁ、スーパーにしてみれば、勘定があわず、迷惑この上ない話だろうが、そこはnobless obligeといったところだろうか。
バブルが崩壊してからは、大型店舗は郊外に移転し始めたこともあり、駅前は閑散。
今は、行政を含めて商業施設の誘致を進め、地元で一番大きなスーパーが出店し、駅前に住むお年寄りの唯一の台所となってる。
まぁ、スーパーにしてみれば、勘定があわず、迷惑この上ない話だろうが、そこはnobless obligeといったところだろうか。
町の小さなデパート
物心着いた頃から俺の遊び場の一つだった町の小さなデパート、マルサンデパート。
デパートと言っても、大きな町にあるような、一区画50mとか60mを全て占めるような建物ではなく、20m×40mくらいの小さなデパートだった。駅前では一番高い建物だったが、今となっては6階建てで珍しくも何ともない。
小さい俺にとっては、そんな小さなデパートでも何でも揃っているのが魅力で、見ているだけでも楽しく、暇さえあれば遊びに行っていた。
小さいながらもデパ地下もあり、おもちゃ売り場やゲーセン、そして食堂もあった。
マルサンデパート以外にも、ダイコーデパートや鮮魚専門のタカトヨ、衣類専門のスガハラ、これら全てが遊び場だった。
今はマルサンもダイコーも建物は残っているが当時の面影はまったくない。
帰省するたびに前を通ると昔を思い出してしまう。
画像は今のマルサンデパート跡地。googleで検索しても画像すら出てこないのは、やっぱり悲しい。
デパートと言っても、大きな町にあるような、一区画50mとか60mを全て占めるような建物ではなく、20m×40mくらいの小さなデパートだった。駅前では一番高い建物だったが、今となっては6階建てで珍しくも何ともない。
小さい俺にとっては、そんな小さなデパートでも何でも揃っているのが魅力で、見ているだけでも楽しく、暇さえあれば遊びに行っていた。
小さいながらもデパ地下もあり、おもちゃ売り場やゲーセン、そして食堂もあった。
マルサンデパート以外にも、ダイコーデパートや鮮魚専門のタカトヨ、衣類専門のスガハラ、これら全てが遊び場だった。
今はマルサンもダイコーも建物は残っているが当時の面影はまったくない。
帰省するたびに前を通ると昔を思い出してしまう。
画像は今のマルサンデパート跡地。googleで検索しても画像すら出てこないのは、やっぱり悲しい。
2012年10月14日日曜日
2012年10月13日土曜日
帰省
祖母の3回忌、祖父の33回忌の法事のため、始発の新幹線で帰郷。
昨晩は床に就いたのが2時を回っていたので、実質3時間しか寝ていない。新幹線の中で挨拶を考えていたが、いつの間にか寝入ってしまって、起きたら一関だった。
法事も寺で塔婆をあげてもらって、いつもなら粗宴という名の宴会に突入するが、今回は身内+親戚で11名という少人数での食事会に納めたので、凝った挨拶をすることもなく、2時前には終了。あまり寝ていないこともあって、帰宅してから5時過ぎまで爆睡だった。
軽めの夕食を採った後、時計の電池が切れたとか騒ぐもんだから、足がないので仕方なく近所のコンビニまで徒歩で買い物に行った。
どこに出かけるでもなく、法事以外はイベントもなく、寝て終わった帰省。
明日は10時前の新幹線で東京に戻る。
御霊前を頂いた親戚へのお返し、そして次に帰省した時の宿題(ファンヒーター購入や、時計の購入、切れそうな蛍光灯の購入など)、やり残したことを整理しつつ、寝るとしよう。
東京からの帰省は、以前のような青森からの帰省とはやっぱり違う。
車がないというデメリットはもちろんであるが、またいつでも帰ってこれるという感覚がなく、新幹線で2時間半で帰ってこれるという時間的・距離的な短さ以上に精神的な距離というものがあるのを実感している。
ゆっくり帰ってこれるのはいつの日になることやら。
昨晩は床に就いたのが2時を回っていたので、実質3時間しか寝ていない。新幹線の中で挨拶を考えていたが、いつの間にか寝入ってしまって、起きたら一関だった。
法事も寺で塔婆をあげてもらって、いつもなら粗宴という名の宴会に突入するが、今回は身内+親戚で11名という少人数での食事会に納めたので、凝った挨拶をすることもなく、2時前には終了。あまり寝ていないこともあって、帰宅してから5時過ぎまで爆睡だった。
軽めの夕食を採った後、時計の電池が切れたとか騒ぐもんだから、足がないので仕方なく近所のコンビニまで徒歩で買い物に行った。
どこに出かけるでもなく、法事以外はイベントもなく、寝て終わった帰省。
明日は10時前の新幹線で東京に戻る。
御霊前を頂いた親戚へのお返し、そして次に帰省した時の宿題(ファンヒーター購入や、時計の購入、切れそうな蛍光灯の購入など)、やり残したことを整理しつつ、寝るとしよう。
東京からの帰省は、以前のような青森からの帰省とはやっぱり違う。
車がないというデメリットはもちろんであるが、またいつでも帰ってこれるという感覚がなく、新幹線で2時間半で帰ってこれるという時間的・距離的な短さ以上に精神的な距離というものがあるのを実感している。
ゆっくり帰ってこれるのはいつの日になることやら。
2012年10月10日水曜日
2012年9月29日土曜日
静かな朝
宿直明けの土曜日の静かな都心の朝。
外の空気を吸いたくて、屋上に上がる。
涼しい風を受けていると、ふと昔のことを思い出した。
在来線の駅近くにあった我が家は、休日になるとデパートの屋上にアドバルーンがあがり、宣伝カーが大音量でお店の宣伝をしている、そんな賑やかなところに住んでいた。
もちろん、今とは違って経済成長著しい時代だったからこそだ。
学校が休みの日、エアコンがなかった自宅は、夏は朝からうだるような暑さで、真っ青な空と蝉の鳴き声で、少しでも涼しい時にと思って午前中に始めた夏休みの宿題もなかなかはかどらなかった。
真っ青な空に響き渡る宣伝用セスナのエンジン音と宣伝の音。何もかもがワクワクさせてくれた時代だった。
対照的に、静かな朝、そして空。この都心でもだ。
時代は変わってしまったのだ。
外の空気を吸いたくて、屋上に上がる。
涼しい風を受けていると、ふと昔のことを思い出した。
在来線の駅近くにあった我が家は、休日になるとデパートの屋上にアドバルーンがあがり、宣伝カーが大音量でお店の宣伝をしている、そんな賑やかなところに住んでいた。
もちろん、今とは違って経済成長著しい時代だったからこそだ。
学校が休みの日、エアコンがなかった自宅は、夏は朝からうだるような暑さで、真っ青な空と蝉の鳴き声で、少しでも涼しい時にと思って午前中に始めた夏休みの宿題もなかなかはかどらなかった。
真っ青な空に響き渡る宣伝用セスナのエンジン音と宣伝の音。何もかもがワクワクさせてくれた時代だった。
対照的に、静かな朝、そして空。この都心でもだ。
時代は変わってしまったのだ。
2012年9月18日火曜日
2012年9月12日水曜日
2012年9月5日水曜日
一人になると
色々と考え込んでしまうのは、少し精神的に疲れているせいかもしれない。
母の病室にずっといるわけにもいかず、同じフロアの面会者用の談話室でボーッとしていると、現実逃避状態になってしまう。
ようやく、これから色々と頑張ろうと思っていた矢先のことだったので、余計なのかもしれない。
良き時代。手持ちのiPhoneにはたくさんの写真がストックされているが、新たに撮影すると自動的に昔の写真から削除される。
写真アプリを起動してさらさらと眺めると、引っ越し準備でバタバタしている最中に撮影した青森の風景が現れた。
良き時代。未だに思いされてならない。本当は前を向いて歩かなきゃいけないんだけれど。
母の病室にずっといるわけにもいかず、同じフロアの面会者用の談話室でボーッとしていると、現実逃避状態になってしまう。
ようやく、これから色々と頑張ろうと思っていた矢先のことだったので、余計なのかもしれない。
良き時代。手持ちのiPhoneにはたくさんの写真がストックされているが、新たに撮影すると自動的に昔の写真から削除される。
写真アプリを起動してさらさらと眺めると、引っ越し準備でバタバタしている最中に撮影した青森の風景が現れた。
良き時代。未だに思いされてならない。本当は前を向いて歩かなきゃいけないんだけれど。
つかの間の休息
今やるべきことを片付けて、つかの間の休息。
そういえば、昼メシはまだだったことに気づいて、中学の時から行きつけの喫茶店(今はもう死語か)で遅い昼メシ。
パスタを注文するも、日頃から野菜不足でしょというマスターが気を遣ってくれて、大量の惣菜をサービス。
実家に帰った時ですらあまり通うことがなくなったにもかかわらず、いつも温かく接してくれるマスターに感謝。
常に刺激を求め、何もない地元でいつも大学時代の刺激を語り、偏屈になっていた20代後半。地元で暮らすことが嫌で東京に出てきた俺。
いつになっても地元は温かく迎えてくれることに感謝。
そういえば、昼メシはまだだったことに気づいて、中学の時から行きつけの喫茶店(今はもう死語か)で遅い昼メシ。
パスタを注文するも、日頃から野菜不足でしょというマスターが気を遣ってくれて、大量の惣菜をサービス。
実家に帰った時ですらあまり通うことがなくなったにもかかわらず、いつも温かく接してくれるマスターに感謝。
常に刺激を求め、何もない地元でいつも大学時代の刺激を語り、偏屈になっていた20代後半。地元で暮らすことが嫌で東京に出てきた俺。
いつになっても地元は温かく迎えてくれることに感謝。
ぴょんぴょん舎の冷麺
岩手育ちの俺にとって、夏に冷麺を食べることは小さい頃からの習慣になっている。
その昔、夏には冷やし中華!というのが当たり前であったが、休日、お袋が自営するお店で昼食の出前を近所の中華屋兼焼肉屋から取ることになり、お袋がとった冷麺を食べさせてもらった。お袋が、「これは辛いから大人が食べるもの!」というので、キムチが入ってない辛くないスープを飲ませてもらった。中華ではないあっさりとした中に牛骨ダシのコクのスープと独特のコシが特徴の麺に一瞬のうちに虜になり、それ以来、夏には決まって冷麺を食べていた。
また、当時、スーパーで市販されている冷麺は麺はともかくとして、その薄っぺらいスープには満足することができなかったのを覚えている。
その後、多くの冷麺店がオープンしたのは、俺が大学生で地元岩手を離れていた1990年頃。その店の一つで、ぴょんぴょん舎というのがあり、唯一、お土産品で、レトルトのストレートスープに生の麺が付いたものが売られ始めた。価格にして通常のお土産品の約二倍、生のため日持ちしないという代物であったが、自宅でここまでお店の味に近づけた冷麺が食べられるという商品の登場に飛び付いたものだった。
それから約20年経った今もぴょんぴょん舎とお土産品の冷麺は健在。東京の岩手アンテナショップの目玉商品となり、全国の主要なスーパーでも販売されている。
また、ぴょんぴょん舎は東京にも支店を展開。近所のスカイツリータウンにも出店したと聞いたので、早速ツレと行っていた。
通常は600円くらいで食べられる冷麺も、場所柄、1,000円と超インフラ価格で、かなり抵抗があったが、とりあえず食べてみた。
その懐かしい味は健在で、地元の人しか知らない別辛(辛さの源、キムチが別皿でついてくるので、自由に辛さが調整できる)という選択肢も健在。
小さな店舗で焼肉もなく、オシャレに食べるという雰囲気だったので、価格とともに消化不良だったが、まずは、近所で東京でも大好きな盛岡冷麺が食べられることに感謝。
ちなみに、普通に東京で食べられる冷麺は、韓国風冷麺で、麺にはそば粉が使用されているため麺は茶褐色で細く、歯ごたえもそこそこであるが、盛岡冷麺は麺が白くて太く、噛みごたえ十分。自分にとっては、盛岡冷麺が冷麺なのだ。
その昔、夏には冷やし中華!というのが当たり前であったが、休日、お袋が自営するお店で昼食の出前を近所の中華屋兼焼肉屋から取ることになり、お袋がとった冷麺を食べさせてもらった。お袋が、「これは辛いから大人が食べるもの!」というので、キムチが入ってない辛くないスープを飲ませてもらった。中華ではないあっさりとした中に牛骨ダシのコクのスープと独特のコシが特徴の麺に一瞬のうちに虜になり、それ以来、夏には決まって冷麺を食べていた。
また、当時、スーパーで市販されている冷麺は麺はともかくとして、その薄っぺらいスープには満足することができなかったのを覚えている。
その後、多くの冷麺店がオープンしたのは、俺が大学生で地元岩手を離れていた1990年頃。その店の一つで、ぴょんぴょん舎というのがあり、唯一、お土産品で、レトルトのストレートスープに生の麺が付いたものが売られ始めた。価格にして通常のお土産品の約二倍、生のため日持ちしないという代物であったが、自宅でここまでお店の味に近づけた冷麺が食べられるという商品の登場に飛び付いたものだった。
それから約20年経った今もぴょんぴょん舎とお土産品の冷麺は健在。東京の岩手アンテナショップの目玉商品となり、全国の主要なスーパーでも販売されている。
また、ぴょんぴょん舎は東京にも支店を展開。近所のスカイツリータウンにも出店したと聞いたので、早速ツレと行っていた。
通常は600円くらいで食べられる冷麺も、場所柄、1,000円と超インフラ価格で、かなり抵抗があったが、とりあえず食べてみた。
その懐かしい味は健在で、地元の人しか知らない別辛(辛さの源、キムチが別皿でついてくるので、自由に辛さが調整できる)という選択肢も健在。
小さな店舗で焼肉もなく、オシャレに食べるという雰囲気だったので、価格とともに消化不良だったが、まずは、近所で東京でも大好きな盛岡冷麺が食べられることに感謝。
ちなみに、普通に東京で食べられる冷麺は、韓国風冷麺で、麺にはそば粉が使用されているため麺は茶褐色で細く、歯ごたえもそこそこであるが、盛岡冷麺は麺が白くて太く、噛みごたえ十分。自分にとっては、盛岡冷麺が冷麺なのだ。
ガリガリ君コーンポタージュ味
怖いもの食べたさで買ってみた。
香りは昔あった(今でもある?)トウキビアイスそのもの。懐かしさが増す。
味はコーンポタージュスープをイメージしていたが、バニラ風味豊かなトウキビアイスとコーンポタージュスープのいいとこ取りで、嫌味のない絶妙なフレーバー。本当によく考えられた味付けになってる。
ガリガリ歯ごたえは、通常のガリガリ君ほどなく、少し硬めのアイスキャンディバーといった感じ。粒コーンが申し訳程度に入っているが、冷たいせいか味はせず、歯ごたえ重視か。
これはこれでアリだと思う。
香りは昔あった(今でもある?)トウキビアイスそのもの。懐かしさが増す。
味はコーンポタージュスープをイメージしていたが、バニラ風味豊かなトウキビアイスとコーンポタージュスープのいいとこ取りで、嫌味のない絶妙なフレーバー。本当によく考えられた味付けになってる。
ガリガリ歯ごたえは、通常のガリガリ君ほどなく、少し硬めのアイスキャンディバーといった感じ。粒コーンが申し訳程度に入っているが、冷たいせいか味はせず、歯ごたえ重視か。
これはこれでアリだと思う。
2012年9月2日日曜日
2012年9月1日土曜日
9月
昨日、職場の防災訓練参加のため、5時起で出勤。日中、フルに働いて20時から歓迎会。ヘトヘトで24時前に帰宅して、シャワーを浴びて速攻で寝たが、4時間ほど寝たとこで目が覚めてしまった。
精神的に張り詰めた感じも、少し和らいできたにもかかわらず、何となく熟睡出来ていない感じ。結局、6時前に起床。しばらく更新していなかったblogなどを書き綴ってみた。
外の空気は灼熱の8月とは違って、少しひんやりして心地いい。
暦の上ではもう9月。東京に移動してもう1ヶ月経ったのかという思いと、まだ1ヶ月しか経ってないのかという思いが混在する。青森にいたのがまだ1ヶ月前だったのか。友人との最後の温泉旅行。なんか、もっと昔のことのように思えてならない。
精神的に張り詰めた感じも、少し和らいできたにもかかわらず、何となく熟睡出来ていない感じ。結局、6時前に起床。しばらく更新していなかったblogなどを書き綴ってみた。
外の空気は灼熱の8月とは違って、少しひんやりして心地いい。
暦の上ではもう9月。東京に移動してもう1ヶ月経ったのかという思いと、まだ1ヶ月しか経ってないのかという思いが混在する。青森にいたのがまだ1ヶ月前だったのか。友人との最後の温泉旅行。なんか、もっと昔のことのように思えてならない。
2012年8月26日日曜日
時間の使い方
昨晩は初宿直でいつどんな連絡がくるか半ばドキドキしながら夜を過ごした。明日はまた朝からあさっての夜まで連続で仕事。今日は1日休みだったが、気持ちが休まるどころか、何をやっても集中できないそんな1日だった。
まだ今の仕事には前向きになれないのが一番の原因。腹を据えられれば、きっと何とも思わなくなるんだろう。そこまでたどり着くには、いったいいつまでかかるのか自分にも分からない。
今日は行きつけのもんじゃ屋で夕食。うまかったが、衣類やカバンにも臭いがびっしり。こればっかりはいただけない。
さて。気持ちを切り替えて、またがんばるとするか。
まだ今の仕事には前向きになれないのが一番の原因。腹を据えられれば、きっと何とも思わなくなるんだろう。そこまでたどり着くには、いったいいつまでかかるのか自分にも分からない。
今日は行きつけのもんじゃ屋で夕食。うまかったが、衣類やカバンにも臭いがびっしり。こればっかりはいただけない。
さて。気持ちを切り替えて、またがんばるとするか。
2012年8月24日金曜日
2012年8月23日木曜日
2012年8月20日月曜日
夕陽に照らされたスカイツリーは
お盆も過ぎて日が徐々に短くなりつつある今日この頃。スカイツリーはいつもと変わらず壮大な容姿を見せてくれる。
夕陽に照らされるとホワイトがかった塔体はまるでプラモデルのようや輝く。ライトアップされる夜の容姿もいいが、この姿も魅力的である。
夏休みも終わり、今日から本格的に新しい部署での仕事が始まった。まだまだおっかなびっくり。自分のペースで仕事がこなせるようになるのはいつのことか。われながら情けない。
夕陽に照らされるとホワイトがかった塔体はまるでプラモデルのようや輝く。ライトアップされる夜の容姿もいいが、この姿も魅力的である。
夏休みも終わり、今日から本格的に新しい部署での仕事が始まった。まだまだおっかなびっくり。自分のペースで仕事がこなせるようになるのはいつのことか。われながら情けない。
2012年8月17日金曜日
髪型についての問い合わせがあったので
しつこいようだけどもう一度掲載。興味の無い方はすっ飛ばして下さい。
詳しくはよく知らないが、明治時代に小松さんという床屋が得意にしていた髪型で、下町の職人に好まれていたからこう呼ばれていたとか。
基本的に後頭部と脇は全刈り上げで(1mm以下)、前髪を残す。トップも刈り上げるので、下手な床屋だと、前髪だけ残るいわゆる「取っ手」になりがち。そこはうまく形作るのが床屋の腕の見せ所らしい。
自分は、三社祭で神輿を担ぐようになってからこのスタイルを通してきたが、これが出来る床屋を探すのが大変(特に地方は)、青森県在住時代はスキンヘッドで通していたわけ。
今までのソフトモヒカンスタイルにも少し飽きてきて、もう少しモヒカンっぽくすることも考えたが、床屋さんとのつきあいもあるので、当面はこのスタイルでいく予定。
こんなもんでいいかな?
詳しくはよく知らないが、明治時代に小松さんという床屋が得意にしていた髪型で、下町の職人に好まれていたからこう呼ばれていたとか。
基本的に後頭部と脇は全刈り上げで(1mm以下)、前髪を残す。トップも刈り上げるので、下手な床屋だと、前髪だけ残るいわゆる「取っ手」になりがち。そこはうまく形作るのが床屋の腕の見せ所らしい。
自分は、三社祭で神輿を担ぐようになってからこのスタイルを通してきたが、これが出来る床屋を探すのが大変(特に地方は)、青森県在住時代はスキンヘッドで通していたわけ。
今までのソフトモヒカンスタイルにも少し飽きてきて、もう少しモヒカンっぽくすることも考えたが、床屋さんとのつきあいもあるので、当面はこのスタイルでいく予定。
こんなもんでいいかな?
イメチェンというか
夏休みもあっという間に過ぎ去り、残すところあと2日となった。
何となくだが、新しい部署の仕事が自分の軌道に乗らないためか(異動してまだ5日しか仕事をしていないので当たり前だが)、まだ前向きに取り組もうという意識がわいてこない。常に失敗してはいけないという変なプライドがあるからだろうが、これから訪れる色々な対応をこなしていく上では、肩の荷を下ろして取り組むほかない。頭ではわかっていても、なかなか難しいものだ。
4年前まで散髪でお世話になっていた浅草の床屋。挨拶もろくにせず、青森に転勤してしまったが、今後はご近所ということもあって、先日、お詫び次いでに顔を出してきた。青森に行ってからは、自前で散髪(坊主やスキンヘッド)していたが、何となくはやりに乗ってみたいと思って、ソフトモヒカンにしていたが、気分を切り替えるため、前の髪型に戻してきた。ソフモヒの方が少し若めに見えるかもしれないが、しばらくはまたこのスタイルでやっていこうと思う。少々オヤジくさいが、年相応ということで。下町らしい粋な小松刈り。
何となくだが、新しい部署の仕事が自分の軌道に乗らないためか(異動してまだ5日しか仕事をしていないので当たり前だが)、まだ前向きに取り組もうという意識がわいてこない。常に失敗してはいけないという変なプライドがあるからだろうが、これから訪れる色々な対応をこなしていく上では、肩の荷を下ろして取り組むほかない。頭ではわかっていても、なかなか難しいものだ。
4年前まで散髪でお世話になっていた浅草の床屋。挨拶もろくにせず、青森に転勤してしまったが、今後はご近所ということもあって、先日、お詫び次いでに顔を出してきた。青森に行ってからは、自前で散髪(坊主やスキンヘッド)していたが、何となくはやりに乗ってみたいと思って、ソフトモヒカンにしていたが、気分を切り替えるため、前の髪型に戻してきた。ソフモヒの方が少し若めに見えるかもしれないが、しばらくはまたこのスタイルでやっていこうと思う。少々オヤジくさいが、年相応ということで。下町らしい粋な小松刈り。
2012年8月15日水曜日
2012年8月14日火曜日
買い物三昧
夏休み4日目も終了。小物類を購入するため、毎日のように自転車や車で買い物に出かけている。特に、秋葉原や銀座に自転車で買い物に行く途中に通り過ぎる東京駅周辺や日本橋など、これまで東京に住んでいてちゃんと眺めたことがない、もしくは東京を離れていた4年間の間に様変わりしていて、ついキョロキョロしてしまう。
東京駅の改修も終盤で、荘厳な煉瓦造りの建物が一足早くお目見えしていた。
名古屋駅や大阪駅のように近代的な高層建築の駅ビルもすばらしいが、この東京駅は残して正解。八重洲口の近代化とは対照的なレトロな雰囲気は、まさに日本を代表する駅にふさわしい。
東京駅の改修も終盤で、荘厳な煉瓦造りの建物が一足早くお目見えしていた。
名古屋駅や大阪駅のように近代的な高層建築の駅ビルもすばらしいが、この東京駅は残して正解。八重洲口の近代化とは対照的なレトロな雰囲気は、まさに日本を代表する駅にふさわしい。
2012年8月13日月曜日
2012年8月8日水曜日
2012年8月7日火曜日
赴任期間
7月28日に状況してから、何かと理由をつけて1週間ほど休暇を取った。その間、引越荷物の受け入れや部屋の片付けをしつつ、ツレと船橋のIKEAや幕張のCOSTCOに買い物に出かけたり、今後始まる激務を忘れてのんびり過ごした。
天気がよかったので、東京スカイツリーも堪能。
何かとお金がかかる場所だけど、やっぱり地上350mや450mから見下ろす東京の町並みは絶景。ちなみに、450m地点は高度はあるが、窓がそれほど大きくなく、開放感は350m地点にはかなわない。予約なしでも十分に登れるので、上京の際にはぜひ訪れてみることをおすすめする。
天気がよかったので、東京スカイツリーも堪能。
何かとお金がかかる場所だけど、やっぱり地上350mや450mから見下ろす東京の町並みは絶景。ちなみに、450m地点は高度はあるが、窓がそれほど大きくなく、開放感は350m地点にはかなわない。予約なしでも十分に登れるので、上京の際にはぜひ訪れてみることをおすすめする。
2012年8月5日日曜日
六ヶ所を後に・・・
東京に引っ越してきてから色々やることがあったので、少しずつこれまでの分も含めてアップしていこうと思う。
7月27日。ちょうど4年1ヶ月前の暑い日にここに引っ越してきた。もうそろそろだろうと思って、去年くらいから片付けを開始したものの、日常生活で必要なものを最後まで残していたら、結局前日の深夜2時を回ってやっと片付いた。最後に荷物を引き払って、軽く掃除を済ませたら、4年1ヶ月前の、何もないがらんとした部屋になった。
片付けをやっている途中は、物思いにふける感じだったが、いざ、部屋が空になると、踏ん切りが付いた感じで逆に気持ちがいいくらい。
もうここに二度と戻ることはないかもしれないと思うと、少しだけ感慨深い。
7月27日。ちょうど4年1ヶ月前の暑い日にここに引っ越してきた。もうそろそろだろうと思って、去年くらいから片付けを開始したものの、日常生活で必要なものを最後まで残していたら、結局前日の深夜2時を回ってやっと片付いた。最後に荷物を引き払って、軽く掃除を済ませたら、4年1ヶ月前の、何もないがらんとした部屋になった。
片付けをやっている途中は、物思いにふける感じだったが、いざ、部屋が空になると、踏ん切りが付いた感じで逆に気持ちがいいくらい。
もうここに二度と戻ることはないかもしれないと思うと、少しだけ感慨深い。
2012年7月27日金曜日
2012年7月25日水曜日
片付けも掃除も佳境
今日より引越の日までは事務所勤務にしてもらった。昼飯を食べに帰宅したついでに、郵便局まで出かけてきた。
いつもなら車で1分程度しかかからない郵便局も、昨日車を手放してしまったので、徒歩で。帰りにホームセンターとコンビニに寄って事務所に戻ったら、約1時間ほど経過していた。
昼間、徒歩でこの辺りを歩くこともなかったので、あちこち写真を撮りまくってきた。
これまではなんとも思わなかったこの景色も、あと数日で去ることを思えば、なんか、心に響くものがある。
片付けも佳境。水回りを一気に片付けて、リビングで使っていたコタツを分解するだけで部屋の中はガランとしてしまった。明日は飲み会があるので、本格的に片付けられるのは今日と明後日しかない。ちょっと不安だなぁ。明後日は寝られるんだろうか。
いつもなら車で1分程度しかかからない郵便局も、昨日車を手放してしまったので、徒歩で。帰りにホームセンターとコンビニに寄って事務所に戻ったら、約1時間ほど経過していた。
昼間、徒歩でこの辺りを歩くこともなかったので、あちこち写真を撮りまくってきた。
これまではなんとも思わなかったこの景色も、あと数日で去ることを思えば、なんか、心に響くものがある。
片付けも佳境。水回りを一気に片付けて、リビングで使っていたコタツを分解するだけで部屋の中はガランとしてしまった。明日は飲み会があるので、本格的に片付けられるのは今日と明後日しかない。ちょっと不安だなぁ。明後日は寝られるんだろうか。
2012年7月23日月曜日
2012年7月21日土曜日
2012年7月17日火曜日
iPhone 4S by au
職場から緊急用に配布されている携帯電話がiPhone 4Sになった。
今時スマートフォンを導入しない会社はないと思うが、緊急用という用途から、誰でも簡単に電話やメールが打てるガラケーの方がよかったような気もする。
事務所の同僚のプライベート携帯はすべてガラケーなので、操作や設定に戸惑っているので、簡単にレクチャーしてあげた。
ちゃんと使えるようになるか、ちょっぴり心配。
今時スマートフォンを導入しない会社はないと思うが、緊急用という用途から、誰でも簡単に電話やメールが打てるガラケーの方がよかったような気もする。
事務所の同僚のプライベート携帯はすべてガラケーなので、操作や設定に戸惑っているので、簡単にレクチャーしてあげた。
ちゃんと使えるようになるか、ちょっぴり心配。
2012年7月16日月曜日
昔の写真を整理
片付けの合間に、昔の写真を整理。
んー、なんか、前も同じようなことを書いた気がする。
3月ぐらいかな。退職する上司にフォトブックを送るため、写真の整理をしていたんだった。
今回はそれの延長線上みたいなもの。フォトブックでは入りきらなかったたくさんの思い出の画像をDVDのスライドショーにまとめて、お世話になった方々に送ろうと思う。
凝り出したらきりがないので、雑なところを残しつつまとめてみるつもり。時間もあまりないし、片付けをしながらあと1週間ぐらいで物にしたい。
引越前に何やってるんだと言われそうだけど、青森での生活を1つずつ振り返って、これからせわしくなる(であろう)東京での生活をするため、気持ち的にリセットするいい機会。
んー、なんか、前も同じようなことを書いた気がする。
3月ぐらいかな。退職する上司にフォトブックを送るため、写真の整理をしていたんだった。
今回はそれの延長線上みたいなもの。フォトブックでは入りきらなかったたくさんの思い出の画像をDVDのスライドショーにまとめて、お世話になった方々に送ろうと思う。
凝り出したらきりがないので、雑なところを残しつつまとめてみるつもり。時間もあまりないし、片付けをしながらあと1週間ぐらいで物にしたい。
引越前に何やってるんだと言われそうだけど、青森での生活を1つずつ振り返って、これからせわしくなる(であろう)東京での生活をするため、気持ち的にリセットするいい機会。
2012年7月15日日曜日
15年使ったスチール棚
持って帰ればレンジ台とか何かと使い道はあるが、錆びてきたし、なるべく引越の荷物を減らしたいので、ツレと相談して処分することにした。
先週の金曜日、解体してゴミ集積所に持って行った。今日、可燃ゴミを捨てにいったら、すでになくなっていた。
処分するのは簡単だけど、こうして一つ一つなくなっていくと、やっぱり寂しいものがある。
大物はほぼ片付いた。後は、座椅子を棄てるだけ。
先週の金曜日、解体してゴミ集積所に持って行った。今日、可燃ゴミを捨てにいったら、すでになくなっていた。
処分するのは簡単だけど、こうして一つ一つなくなっていくと、やっぱり寂しいものがある。
大物はほぼ片付いた。後は、座椅子を棄てるだけ。
2012年7月14日土曜日
それでいいんだ、きっと。
物理的に数字でカウントできる時間としては、お袋と接触している時間はたいしたことはない。でも、数字では計れない何かがきっとあるんだと思う。きっと、それでいいんだと思う。
夕食は近所のそば屋で食べた。そば屋までは自宅からほんの数百メートル。運動不足を心配し、お袋に手を貸して歩かせた。ここまで優しくしたのは初めてかもしれない。親不孝だな、俺。