
チェコ・フィルが演奏するドヴォルザーク交響曲第8番を聴きながら、昔のデジカメ画像を眺めている。
ドヴォルザークの作品を手軽に楽しむには、やはり故郷のチェコ・フィルの演奏が一番。どうしたらこんなに郷愁を帯びたメロディが考え出せるのか。ドヴォルザークはさすがである。
画像は、2000年の夏、父方の祖母が亡くなった年、故郷の墓参りに出かけた時に撮影したもの。自宅から父方の実家までは車で20分ほどの距離にある。小さい頃、夏になると父方の兄弟が集まり、よくいとこと遊んでいた場所。父は厳しく、決して泊まることは許してくれなかったけど、昼間は広い庭を駆け回ったり、夜は花火をしたり写真の橋(藤橋)の外灯に集まるカブトムシやクワガタを捕りに行ったり。また、仙台に住むいとこは流行に敏感で、当時はやっていたBCLラジオを聞いて、内容もろくに分からないのにベリーカードを頼んだりしていたのを今でも覚えている。
今となってはそんないとこと会う機会もなくなってしまったが、この思い出を通じて、大人になった今でもどこかでつながっているような気がする。
2000年夏の墓参りは、夏に東京から帰郷した際に、一人で出かけた。車はもう手放していたので、当時、親父が運転する車の助手席でうる覚えだった記憶を頼りに、祖母が眠る寺まで自転車で向かった。途中、昔とは景色が様変わりしていたが、どことなく小さい頃の雰囲気が残っていたので、ついつい立ち止まっては手にしたばかりのデジカメで写真をとりまくっていた。寺でお参りをしていると、住職が出てきて、「ひょっとしたら○○さんの息子さんでは?」と聞かれた。親父にそっくりだそうで。
墓参りついでに、昔よく遊んだ親父の実家(もう廃墟になっているが)の前を通り、北上川をながめて帰宅。
小さい頃は、車でもちょっとした旅行気分だった父親の実家までの道のりも、自転車で行ける距離だったんだ、とちょっぴり寂しく感じたのを今でも覚えている。
あれからもう12年。俺は、自分の記憶に残ってる親父の年になったんだなぁと、改めて感じた。ここまで生きてこれたのも、お袋が苦労したからこそだし、小さい頃にきちんとしつけてくれた親父がいたからこそ。まだまだ親父を超えることは出来ないけど、これからも頑張っていきたいし、色々と紆余曲折があったけど自分が生きてきた道、そしてこれから生きる道を大切にしていきたいと思っている。